回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・15
終戦と,原爆被災者脳の研究
内村 祐之
1,2
1東京大学
2日本学士院
pp.701-708
発行日 1967年9月15日
Published Date 1967/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201245
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昭和16年12月8日に勃発した太平洋戦争は,昭和20年8月15日に至つて,ついに終わつた。その日の正午,束京大学安田講堂に集められた大学の職員は,ここで,思いもかけぬ終戦の詔勅を聞いたのである。国民服のズボンのすそを脚絆(きやはん)巻きにした内田祥三総長は,詔勅の放送が終わると,「聖旨を体するように」との一言を残したまま,急ぎ足で退場してしまつた。広い講堂の中はシンとして,しばらくの間,物音ひとつしない。1人1人の胸の中には,おそらく,さまざまの感慨がわきあがつているのだろうが,それは言葉にはならなかつた。このシンとした無反応が,この場合,大学人にとつて唯一の反応だつたのである。
それは私にとつても同じことだつた。戦況が日に日に悪化してゆくことは目に見えており,本土決戦が声を大にして叫ばれていても,その成算のないことは,しろうと目にもわかつていたから,この戦争が果たして,どんな形で終局を迎えるのかとさまざまに想像をめぐらしていた折りも折り,この突然の詔勅を聞いたのである。その瞬間,心に盛りあがる複雑な思いを,特別な言葉で表現することができなかつたとて,不自然ではなかつたろう。最初の一瞬間の感情麻痺は,あまりにも突然の戦争終結に,アッケにとられたためのものだつたかも知れないが,それに引き続く時間の沈黙は,無反応と言うべきではなくて,むしろ相殺する雑多な感情の総合としての感情形態と見る方がふさわしいものであつた。
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