ぱんせ
「痛みと麻痺を生きる」人々が医療者に求めること
松井 和子
1
1国立看護大学校
pp.548-549
発行日 2007年6月1日
Published Date 2007/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661101026
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痛みを理解することの難しさ
経験に富む看護職は,痛み,とくに慢性痛の執拗な訴えにどう対処されているだろうか.痛みもバイタルサインの1つとされるが,体温,呼吸,脈,血圧などと異なり痛みは量的な測定が非常に難しく,痛みを訴える人はもとより,看護職にとってもがんこな慢性痛はできれば回避したい症状ではないだろうか.痛みとは,国際疼痛学会IASPの定義によれば,常に主観的体験であるが,医療者は痛みを客観的に捉えようとするので,そのギャップが痛みの理解をさらに困難にするという.
痛みに麻痺,とくに知覚麻痺が加わると,その理解は困難というより,むしろ困惑する.痛覚を麻痺している人が痛みを感じるだろうか.実際,運動麻痺のみならず知覚麻痺を伴う脊髄損傷者は無麻酔で手術を受けることもあり,痛みを感じないもの,麻痺した部分は痛いはずがないと医療者は脊損者の痛みを否定しがちである.痛覚が麻痺すると,褥瘡など合併症の早期発見が遅れるので,痛みの代償として視覚,あるいは鳥肌や顔のほてりなど異常知覚を活用する脊損専用のセルフケア教育プログラムが開発実施されてきた.
脊髄損傷者との付き合いが比較的長い筆者にとっても彼らの痛みは捉えにくく,かつ最も対処困難な症状である.執拗に痛みを訴え続ける脊損者がいる一方で,痛みをまったく訴えない人も多く,痛みがないから救われると,無痛覚をせめてもの恩恵のように受けとめる脊損者に遭遇することがある.
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