連載 ケアと現代・5
ケアすることと・されることがわかりあうこと
佐藤 俊一
1
,
岸 良範
2
,
平野 かよ子
3
1鹿児島経済大学社会学部
2埼玉医科大学短期大学
3国立公衆衛生院公衆衛生看護学部
pp.432-435
発行日 1992年5月25日
Published Date 1992/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900576
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日常性におけるケアの問題にアプローチするために,今回は,ある母親と小学生の事例を使いながら,日常性におけるケアする・されるという関係のダイナミズムについて具体的に考えてみたい。そのことは,ケアは対人援助を専門的に行なう場に限らず,こくあたりまえの生活において必要なことであるということの確認でもある。
ここでのテーマはケアをとおして,人が社会的になり,また個性的になっていく過程に積極的にかかわりながら生きていくことができるということである。このプロセスにおいて,「ケアをしたり,されたりすることがわかりあうこと」の大切さと,日常性におけるケアに対して,親子(相互の人間)の期待が満たされたいという気持ちがいかに強いかということと,そうした現実から自由になって,いかに相互にわかりあえるケアに足を踏み出せるかということを述べてみたい。
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