連載 気功の精神世界・20
気功的生活
津村 喬
1
1関西気功協会
pp.266-267
発行日 1991年3月25日
Published Date 1991/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900289
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「気功的生活」ということを言い出したのはフィンランドに年に2度3度と通うようになってからでした。それは,森と湖の国といわれる通りの豊かな自然環境の中で,人々がゆったりと暮らし,サウナを森の力をもらう儀式として,いわば瞑想空間として日々楽しみ,蝋燭や暖炉を愛し,したがって暗がりへの想像力を実に豊富に持って妖精物語の精神世界をまだ持ち続けているのに接して,ああ,こういう人々は気功をしなくてもいいだろうに,と思ったためなのです。気功を必要としないほどゆったりと暮らすこと,その「気功を必要としない生活」を気功的生活とよぼうと,帰ってきて仲間たちに提案したのです。
これは言葉の遊びではありません。なぜ気功をするのか,といえば,それは私たちの生活が病んでおり,偏っているからです。気功をしなくてもいいような生活とは,常住坐臥すべてが気功になっている生活ということでもあります。気功の目的は歪みとりや病気治しだけではなく,修業によって人間を完成させていくということもあるので,実際にはここで終わりということはなく,生涯の課題です。けれども,気功が目的なのではなく,生活がいきいきと気を活かしたものになっていくこと,自分と仲よくでき,人々とつながることができ,自然と溶け合うことができるようになるためのひとつの道が気功であるにすぎないのです。
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