母もわたしも助産婦さん
互いに理解し尊重して
佐藤 弘子
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1上磯郡母子健康センター
pp.33
発行日 1968年5月1日
Published Date 1968/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203559
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母は23歳で現在の所に開業,その頃,町内の女の方で自転車を乗りまわしていた者は,母を含めて3名しかいなかったそうです.日本セメント(当時アサノセメント)に籍を置いていた父の転勤で,一家は北朝鮮で,10年間過してまいりました.ここでも母は仕事を続けておりましたので,朝鮮の方のお産の風習も見ております.
もう60を過ぎた母は,時々,自分の歩んで来た道を振りかえって,話をしてくれますが,私には想像以上の時代を経て来たことを感じます.
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