インターホン
分娩介助者のいないパラグアイ移民
猿渡 清子
pp.45
発行日 1966年5月1日
Published Date 1966/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203190
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領事館,海外移住事業団,援護協会から派遺されてパラグアイの移住地の母子保健指導に出かけたのは昨年の7月21日のことです.毎日森林地帯から森林地帯へ,平原から平原へと巡回して歩きましたが,どの植民地においても分娩介助者がなく,弛緩出血,胎盤癒着による剥離困難,骨盤位分娩,新生児仮死,臍感染などによる死亡が相当あります.住民の衛生知識は驚くほど低く,迷信が横行し,まだ祈祷によって病気を追い払うようなありさまでした.どの家庭にもほとんど7〜8人の子どもがいます.男性同様に働かなければならない母親は,子どものしつけどころか,自分自身の摂生もできず,そのために妊娠に際してもいろいろな疾病にかかります.
今回2件の分娩介助をしましたが,ただハサミ一つで施行しました.そのうちの1件は,児が仮死第II度(臍帯巻絡)があり,口うつしの吸引で蘇生し,山奥での分娩介助の恐しさを痛切に感じました.もう一つ私が驚いたことは,移住者の中に精神異常者がかなりいるということです.日本から直接山奥へ入植するために環境の変化がもたらしたものでしょう.
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