Letter from Abroad 海外で活躍する日本の検査技師
不安なパラグアイへの旅—パラグアイ厚生省プロジェクトに参加して—パラグアイ1
小栗 豊子
1
1順天堂大学付属病院中央臨床検査室細菌
pp.700-701
発行日 1986年5月1日
Published Date 1986/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543203736
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■JICAから派遣
昨年の暮れの1か月間,国際協力事業団(JICA)から細菌検査の専門家としてパラグアイ共和国(以下,パラグアイと記す)に派遣された,この主な仕事は,開発途上国に対して,政府ベース(国と国との約束に基づいた)の技術協力をすることであり,途上国の国造りを担う優れた人材を,その国自身の中に育成することを目的としている1).これは人と人との交流を基礎とした協力であり,相手国の研修員を受け入れて指導する一方,日本からは専門家や青年海外協力隊員を派遣して,技術協力のために必要な機器,資材の供与,関連施設建設のための資金供与などを行っている.私が派遣されたのはJICAの医療協力部からであるが,このほか農業,林業,鉱工業など種々の分野での技術協力が組織されている.
さて,私が訪れたのはパラグアイの首都,アスンシオンである.パラグアイは南アメリカ大陸の中心部より少し南下した所にある内陸国で,周囲はブラジル,アルゼンチン,ボリビアの3国に囲まれている.この国の広さは約40万7千平方キロ,これは日本の約1.1倍の広さとのことである2).日本からはずいぶん遠く離れているが,途中でホテルに泊ることなく,直行した場合には,成田—アスンシオンの間は約32時間を要するといわれている.今までに経験した海外旅行といえば,ヨーロッパ方面がほとんどであった私は,まず無事に着くことができるだろうかとの不安でいっぱいだった.それに加え一人旅……."途中で脳貧血でも起こしたら"などとの不安もあったが,そのときは周りの人に頼るのみと度胸を決めての出発だった.
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