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出産そのものにはデクノボウの亭主—妻のお産に立ち会った夫の記録
石原 隆良
1
1医学書院PR課
pp.42-43
発行日 1963年12月1日
Published Date 1963/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202665
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3,590gという,われわれ2人にとってはびっくりするほど大きな児が生まれた.2人目の娘である,母子ともにすこぶる元気.父親としての私は,ただ喜んでさえいればいいようなものである.道ですれ違う人たちが,みんな私に微笑を注いでくれるように思われて,会う人ごとに「私の子どもが生まれましたよ」と話しかけてみたい気持がする.ただ,ほんの少し不満があるとすれば,2人の子どもが2人とも女だということである.会社でも家の近所でも「おめでとうございます」のつぎには必ず「今度は?」ときかれる.「今度も……です」と苦笑するより仕方がない.そんなことが1日に十何回もくり返されるが,やがて1週間もたつと質問の内容が「お名前は?」に変わる.その頃になれば「おめでとう」といわれるのもさすがに食傷気味になるが,それと逆比例して新しい環境にしだいになれてくる.
それにしても,お産に際して父親の果たす役割はずいぶん変わったものである.昔のようにお湯をわかし,赤い軒燈のついたお産婆さんのところに走って行くことなど,今ではもうわれわれの概念からはすっかりなくなってしまった,出産そのものについては,今では亭主はまったくデクノボウである.病院に送り込んでしまえば,あとはなすことなく,分娩室の前でウロウロしたり,新生児室のガラス越しにわが児と対面するだけである.
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