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語源と土俗から見た「エナ」物語(2)
古葉 彌子
pp.56-57
発行日 1953年2月1日
Published Date 1953/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200289
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大部横道にそれたが,さて本筋に戻つて,そのエナに関して景行記2年3月には「大碓皇子,小碓尊,一日同胞而(オナジエンニシテ)雙生」とあり,一卵性雙胎児であられた事が記録されている。また日本紀略四には一品宮内親王が胞衣不下薨とあつて,エナの異例も記録に残つている。この処分法であるが,之れは我が国には奇妙な風習として,明治の初め頃まで残つて居た。ところでこの点に就て民俗に関する文献を調べて見たが,一向之れを特に研究したものは見当らない。
貞丈雑記によると京都,朝廷では御胞衣を稲荷山,賀茂山,吉田山の3カ所へ納めさせられたそうである。実際吉田山には,今もなお明治天皇の御胞衣を御納めしてある聖域が残つている。古代に於てエナを能く洗つて白絹で包み,鶴亀などの絵の描いてある塗物の木箱の6本足のエナをヲケの中に納め,更にエナツボに容れて男児のは小刀(エナガタナ)女児のは糸、針をも入れて地下2尺位のところに埋めたという。我々の幼時でも,エナはエナツボに入れて十文字に棕櫚繩で括つて,恵方の神社又は自宅に広い土地があれば,自邸内一定の場所へ埋めてもらつたと覚えている。「伊勢家秘書誕生の記」には「胞衣を納める時は,引目射たる人に,陰陽頭をそえて,二人吉方に納める也,帰樣にはどつと笑つて帰えるものなり」とまる。
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