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本年3月「めまいの医学」なる一般読者向けの雑学的単行本を出版したが(中央書院),この本の第1章は,「目は『舞う』のか,回るのか」というタイトルで,めまいの語源学的なことを扱ってみた。こういった章からはじめてみようと考えた背景には三人の方の影響があったので,その辺を書いてみたい。
森本正紀先生が新潟大学から京都大学に戻られたのが昭和38年で,今の本庄教授が助手のころ,出席者に「感想」なるアンケートをとり,出席をとっていた。耳鼻科の講義そのものが月曜の第一時限であるのに加えて,私は「出席とり」に反発を感じたので,一学期出席しなかった。そうしたら教授室に呼び出されて,秋からのポリクリを受けさせないと叱られた。やむなく夏休みにどこかで耳鼻科の実習ということで勘弁してもらった。どうやら,このあたりの縁で耳鼻科入局ということになるのだが,おかげで,入局後も先生の講義のシュライバーでじっくりつき合わされた。耳鼻咽喉科学百般を御一人で講義されたが,今おもうにこういうことが出来る方は少ないのではないだろうか。その講義の中でも,めまいのくだりでは熱も一段と入り,バラニーの逸話など大変面白かった。この中で,源順の「和名類聚抄」,第二巻の「眩,懸也,目所視動乱如レ懸レ物。揺々然不レ定也」(眩ハ懸ナリ。目ノ視ルトコロ動乱シ,物ヲ懸ケタルガ如ク,揺々トシテ定マラザルナリ)934年。というスライドも示された。またラテン語vcrtere=to turnということも示され,また,英語圏の患者はたとえvertigoであってもdizzinessまたはI'm dizzyというとも教えて下さった。そして一段と声を上げ「諸君,目は実際舞うのである。めまいをおこしている人の目をのぞけば,眼球振盪という特有の動きが観察できるのである」といわれた。この「舞う」ということばは,関西弁のニュアンスがあるので,この辺がかわりにくく,後出の村主博士のように語源学的に苦労しなければならなくなる。舞うは舞い踊りというように旋律又は拍子に合せての体の動きを示す意味もあるが,「ほんに忙しうて口がまいそうや」とか「ひゃーっ,めがまう!」とか,日常的に「まわる」という意味と重なり合って用いられている。森本先生御退官の折,平衡神経科学の処だけ,講義用スライド一式をコピーさせていただき,東大での講義にそれを用いたが,説明も「めは舞うのである」とやった。今思うに1/4近い灘高出身者には,スンナリのみこめたことであろうが,あとの諸君らはどうだったのであろうか。
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