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卒業後いろいろな科を研修で回り,横浜市立大学病院のリハビリテーション科に入局して7年ほどたったある日,当時ご健在だった大川嗣雄先生に呼ばれて「こども病院のリハビリテーション科に行くように」と突然言われ,病棟をもたない1人職場のリハビリテーション科長になってしまった.前任の陣内一保先生のように整形外科医師としてのバックグラウンドをもっていなかったので,初めは自身の立ち位置がよく理解できず混乱の毎日が続いた.初日からいきなりNICUに呼ばれ,掌に載ってしまうような赤ちゃんの呼吸や動きを眺めたり(評価ではありません),重症心身障害児施設では心底驚くような大変な状況の子に出会ったり,病棟では文献で微かに知っているような病名をもつ子とお話したりした.日々付焼刃の勉強を必死で続けて,何とかそれらしいカルテを書いて凌ぐのがやっとであった.
しかし半年ほどの嵐の時期が過ぎてようやく落ち着いてくると,今度は「リハビリテーション医って何?」という恐ろしい疑問に苛まれるようになった.自分がどんな評価をし,どんなプランを立てようと,それとは別の世界でベテランの理学療法士(PT)や作業療法士(OT)がすべてよろしくやってくれてしまうような気がし始めたのである.また保護者にとっては,子どもの具合が悪くなった時に薬を出したり入院させてくれる病棟をもつ主治医のほうがずっと頼れる存在であるのは間違いない.それなのに私はなぜ毎日こんなに忙しいのかと悩んでいるうちに,とうとう「そうか私は便利な隙間家具だ」という結論に達した.実際,日々の自分の仕事が病院にとって死活的に重要という自信はまったくもてなかった.そこで私は悩んだ末に開き直り,「いっそ超便利な隙間家具になろう!」と決心したのである.「そもそもリハビリテーション医とは」などということは一切考えず,病棟の当直や処置当番,筋電図や嚥下造影検査などにもぐりこみ,手術以外のことは何でも引き受けた.そのうちに各科の医師や看護師とだんだん親しくなり,勉強会やカンファレンス,研究活動にも誘ってもらえるようになった.また,リハビリテーション医にとってとても大切なチームの構成員であるPT・OTに対しては,彼らが何に困っているのかよくアンテナを立てるようにした.徐々に各科の仕事のシステムのなかにリハビリテーション医が組み込まれていき,「病院の中で皆と一緒に働いている,役に立っている」と確信できるようになるのに2年くらいはかかっただろうか.
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