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筆者は高次脳機能障害支援普及事業の支援拠点機関に勤務している.あらためて述べれば,ここで言う高次脳機能障害とは高次脳機能障害支援モデル事業において作成された診断基準による「脳の器質的病変の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されており,現在,日常生活または社会生活に制約があり,その主たる原因が記憶障害,注意障害,遂行機能障害,社会的行動障害などの認知障害であるもの」である.高次脳機能障害者の症状や家庭環境,社会との関わりは一人一人異なり,抱える問題にひとつとして同じものはない.そのなかでも記憶障害を抱える方々が語る言葉には当初から強い印象を受けている.映画「レナードの朝」の原作者としても知られる神経学者オリバー・サックスの著書のなかにもコルサコフ症候群により重度の記憶障害を生じた男性について著者の驚きと洞察に満ちた一編をみることができる.
さて,作中に登場した「魅力的で好感がもてたし,頭の働きも活発で知的」な49歳のジミー・Gには病識がなかった.一般に認知リハビリテーションを行ううえで患者が病識をもつことは好ましいとされる.重度の記憶障害そのものを根本的に改善させる手段に乏しい現状では,むしろ病識やメタ記憶こそがリハビリテーションのダーゲットとも言える.しかし,自分の記憶障害に気づいて過ごす胸中は決して平穏ではありえない.まず障害に気づき,受けとめる過程で大きな葛藤を経験するのはもちろんである.そして,その後も気を張りつめた暮らしを強いられる.メモリーノートやスマートフォンなどの代償手段を駆使して積極的に社会参加している方が「電話がかかる度に自分が約束を忘れたのではと心臓が縮みあがる」と嘆かれる.粘り強い努力で就労を果たした方が「何度も同じ話題をだして変に思われているのではないだろうか.人と話すのが不安でたまらない」と訴えられる.ここに挙げた例は,他者にとっては些細なことに思えるかもしれない.だが,自分が生きていく時間の連続性を絶たれ,あらゆる場面で不安を感じながらの生活とはどのようなものであろうか.
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