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はじめに
最近の生涯発達心理学への関心の高まりは,ヨーロッパだけでなくわが国においても,18世紀の関心の再興または再発見だともいえる1).実際,近世のわが国の子育て論や養生論を読むと,「生涯にわたる養いと学びの視点」が明確に見て取れる.そこで強調されたことの1つが,調和的な対人関係がもてる人間になることであった.この課題はまた,当時隆盛を見た庶民のための生活哲学である石門心学が扱う中心的なテーマでもあった.その1つの典型を,われわれは中沢道二の庶民向けの道話に見いだすことができる2).彼は,どれほど我への執着があるべき対人関係の障害になるのかを,心を込めて説いたのであった.
このように考えると,対人関係の生涯発達は,古くして新しいテーマだといえる.すなわち,その時,その場に応じて対人関係のもち方のノウハウだけで処するのではなく,どのような経験を通してどのような対人関係・自己・パーソナリティの持ち主になるのかという人間形成の問題と,人生の各段階を通した対人関係の在り方の変化およびその底を流れる連続性に関心を向けたのである.
近世日本の対人関係論と現在のそれが違うのは,規範性の強調度である.たとえば,「生涯にわたって親子の間に親密な心のつながりがあるべきだ」,そして,「子は親に一生孝行しなければならない」というような規範を,近世の対人関係論は強調した.そして,親子間の親密な関係を形成して維持するために,親はどうすべきであるか,また子どもはどのように心がけるべきかが説かれたのである.それは年少の時期から親が老いた後までを通した人生の課題であった.
それに比べて今日では,親子,きょうだい,友人,夫婦などの関係のあるべき姿を規範として表立って強調することは少なくなっている.「きょうだい仲良く」というようなスローガンをお題目のように親が説くことは少なくなった.「嫁しては夫に従う」という規範もナンセンスとなった.しかし,一般人の考え,専門家によるアドヴァイス,臨床家が立てる治療目標,そして研究者が行う実証的研究のどれにおいても,暗黙裡の価値観が関与しているのは確かである.「子どもを可愛いと感じない親は問題だ」,「親子間の愛着が不安定なケースよりも安定したケースのほうが,発達にプラスとなる」,「きょうだい間の葛藤が,心因性の病気の底にあるのではないか」,「不信感の固まりのような人は,友人としてつきあいにくい」,「あまりにも母親優位の家族は,うまく機能しないのではないか」などと人々が考えていて,そのような関係の修正・治療を図ろうとするのなら,そこには暗黙裡の価値観が働いていることになる.この意味で,表だった規範性は低下したとしても,「対人関係の発達」というときに,どのような対人関係の在り方を望ましいものと自分は考えているのかを振り返ることが大切だと思う.
さて,対人関係の生涯発達を心理学の視点から考えるときに,2つのアプローチが区別できる.その区別を簡単に言うと,①個人に焦点を当てて,その生涯にわたる対人関係の連続性と変化を個人水準で問題にしようとするのか,それとも,②親子関係,きょうだい関係,友人関係,夫婦関係などの時間的変化と連続性を関係水準で問おうとするのかという,分析単位の違いである.それは,何を問題として取り上げ,どのような研究方法を用い,そしてどのような結果を見いだすかの違いにつながる.そこで,この論文も,2つのアプローチを念頭に置きながら,対人関係の生涯発達の重要なテーマをいくつか取り上げて論じることにする.
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