巻頭言
子游孝を問う
山永 裕明
1
1熊本機能病院リハビリテーション科
pp.559
発行日 1992年7月10日
Published Date 1992/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552107107
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昨年の11月に,母方の祖母が自宅で息を引き取り,93歳の天寿を全うした.とくに病気はなく,残されたエネルギーを使い切って,永遠の心地よい眠りについた.祖父が亡くなってから25年目のことだった.祖母は,卒寿を過ぎた頃より,床に臥しがちで,最後の半年は完全に寝たきりであったが,多くの孫,曾孫に囲まれた幸福な晩年であった.死期を迎えた祖母の姿は,母胎内の胎児のようであり,生と死の神聖さを感じた.これを四肢屈曲拘縮というのは自然の摂理を冒涜しているように思える.看取った私は,初めて安らかな自然の死というものを経験し,深く感動した.
養老孟司氏は,老人問題というエッセイで「老人と共存するには,余裕がないと勤まらない.余裕は相対的問題だから一般解はない.ボケ問題にせよ末期医療にせよ一般解を求める方向に行き過ぎると解決がない.」と述べている.寝たきりの祖母と家族が共存することは,他人からみるといかにも大変にみえたかも知れないが,家族にとっては,当然のこととして受けとめ,ほとんど問題にならなかった.共存する余裕があったのは,祖母の家が,大家族であったという好条件にも恵まれていたこともあるが,家族の者が皆,祖母を心から尊敬していたからである.
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