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はじめに
脊髄損傷を中心とする対麻痺者の社会復帰状況は,以前に比して,質的にも量的にも,著明に改善された.この契機の一つになったのは昭和39年(1964)に開催された東京パラリンピックであったともいえる.
この車椅子スポーツはGuttmannが1948年,第8回オリンピック大会がロンドンで行われた際に,ストークマンデビル病院にて,スポーツ大会を開催し,1952年にはオランダが参加して,国際大会となった.4年に1回は通常のオリンピックが開催された国で行われており,他の年度はイギリスのストークマンデビル病院で行われている.
東京大会時の日本選手の成績は散散たるものであった.しかし,この大会が契機となり,我が国の医療スポーツの発展に寄与したのみではなく,リハビリテーションの発展にインパクトを与えたことは周知のことである.
当初は競技種目も陸上競技,水泳,卓球,バスケットボールなどであったが,現在は対麻痺者にとって過酷であるとも考えられる車椅子マラソンも行われるようになってきた.
しかし,車椅子にて,労働に服している障害者は,身体障害者雇用促進法などの法的な援助もあるが質の高い社会復帰を果たしている者は比率からすれば少ないものと推察される.
また,その中でも,スポーツなどを楽しんでいる者は少なく,健康管理などの面でも,個々の体力に応じたスポーツならびにレクリエーションに接する機会を多くの障害者に与える必要がある1,2).
本稿では,体力医学的な観点から,大分太陽の家と共同研究を行ってきたものを基に,実際に労働に服している労働負担量,車椅子マラソン,車椅子バスケットボールについて概説を加えることとする3~5).
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