巻頭言
地方都市のリハビリテーション
眞柄 彰
1
1燕労災病院リハビリテーション科
pp.409
発行日 1990年6月10日
Published Date 1990/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552106278
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リハビリテーション医学は障害に負けずに戦うというキリスト教的精神を強く反映していると日頃感じます.どうも新潟のような地方都市で特に老人のリハビリテーション医療を行っていると,仏教徒にキリスト教を布教しているような違和感を感ずることがあります.リハビリテーションという言葉だけは市民権を得たようですが,その内容と精神についてはまだまださっぱり理解されず,やりにくいことばかりです.近年,新潟県ではリハビリテーション医の減少が著明であり,また新入医局員がないのも,こんなやりにくさが影響しているのではないかという気までしてしまいます.
私は12年前に米国深南部に留学し,キリスト教とリハビリテーション医療,社会福祉との密接な関わりを実感しました.昨年,ひさびさに労働福祉事業団からの派遣で西オーストラリア州パースのベッドブルックのところへ3か月間,脊損リハビリテーションの研修に参りました.オーストラリア人は人がよくて,よく日本人の宗教は何かという話になると,私は日本人は無宗教である,また日本人の宗教は“トヨタ”である,などと答えておりました.実際,日本人にとっては科学が宗教のかわりになったのだろうかとも考えておりました.葬式などの日本のお寺の儀式などは全く形骸化していて,信じるには値しないものだと思い込み,むしろ拒否しておりました.ところが,たまたま国際協力事業団からの派遣で仏教国タイに数週間滞在する機会がありました.実際にタイでタイ人と一緒に生活してみると,われわれ日本人にはあきらめの宗教ともいうべき仏教の教えが骨の髄にしみこんでいるのではないかと感じるようになりました.
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