印象記
People-to-People International Japanese Rehabilitation Medicine Delegationに参加して(2)
大井 淑雄
1
1自治医科大学整形外科・リハビリテーションセンター
pp.739-742
発行日 1984年9月10日
Published Date 1984/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552105249
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1984年の4月27日(金)の午前中をGold Water Memorial Hospitalで過ごしたわれわれは,昼食会の後再びManhattanに舞い戻り,International Center fot the Disabled,ICDを訪れた.なかなかのハードスケジュールである.
ICDはかつてInstitute for Crippled and Disabledの名で知られ,義肢で有名なLawrence Friedmannの居た所であるが,彼は今upstateのStony Brook Medical Centerへ移りそれに伴って専門も義肢から腰痛へと転換してしまった.彼とは2年前にTorontoで顔を合わせたが,国際腰椎学会のメンバーになるために昔の弟子の小生が推薦状を書いたのだから,世の中は変りつつあることがわかる.ICDはBelleview Hospitalより斜め前,downtown側24丁目にあるがActing DirectorのDavid S. Reynolds,リハビリテーション科DirectorのNina Hillらから現況についての説明の後,日本側より真野,菅原,上田の諸氏の研究発表があったが,小生は所用にて中座させていただいた.従って成果の詳細については不明であるが,上田の上肢下肢のBrunnstromテストの標準化をはじめとする諸氏の演説が米国側に対してもよきdemonstrationになったことは間違いない.
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