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Ⅰ.疲労の定義
日常の生活の中で我々は“疲れた”とか“疲労感を覚える”とか明確なようで全く不明確な表現をよく使用する.疲労に関しては色々な角度よりの研究が行われて来ているが,何が疲労かという事に関して納得のゆく説明が加えられているものは皆無である.定義づける事が困難であるという事は,疲労という現象は個人差が大きい事と疲労という事実は全く医学に関係のない職種の方々にも通常経験される事なのであまりにも安易に言葉が使われているという事もあるが,各研究者が各々ベースとして異った現象を中心に疲労を説明しようと試みているからではないかと,今回多くの文献を読み感じた次第である.受け入れ易い定義としては“疲労とは病気以外の原因で作業能力が低下した状態である”という猪飼の定義があるが,横堀は“疲労とは生体に及ぼす環境,生活および作業条件によって生体の恒常性維持の機能水準が変化した状態をいい,生命現象の一つである.そしてこの疲労現象は行動や活動の変化,体験的な変化および生物学的な変化により実証しうる”と定義している.Lagrangeは又“疲労とは健常人,または正常人での過重作業が起した最良の機能不全であり疾病的感じを指している”と極端な定義を加えている.橋本は疲労を3つにわけて,①疲労感,②出来高の量的,質的低下および③作業能力又は生理的機能の低下と説明している.BartleyとChuteはリハビリテーション的考えをとり入れて,ある作業により生体の器管や組織機能の変化が起るといわゆるimpairmentであり,それに自覚的な疲労感が加われば疲労であると定義している.Missoは既に1800年代の終りに疲労を筋作業の能力低下として考えergographによる研究を行っている.科学的に疲労を追求したという点ではMissoがpioneerであり,現在の体育学的運動学の基礎を開いた人でもある.
多くの研究者の疲労の定義をまとめてみると3つのグループに分けられるようである.即ち
①作業能力の低下及びそれに至るプロセスを云うもの.
②単に仕事量の減少のみをよぶもの.
③①と②で云われる作業能力の低下や仕事量の減少を生体の防御機構とみて,疲労をある意味で安全装置と考えるものである.
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