一頁講座 特殊教育・2
肢体不自由教育史
武田 洋
1
1山形大学教育学部
pp.153
発行日 1977年2月10日
Published Date 1977/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552103746
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1.戦前の肢体不自由教育
明治5年の学制の発布以来,心身障害児は義務教育の埓外におかれることが当然とされてきた.特に,明治10年代から明治30年代に至る,日清・日露の両戦役にかけての富国強兵策の推進とともに,義務教育制度の確立が図られていく過程において,法令上,就学義務猶予・免除規定の明確化が図られ,「瘋癲白痴・不具廃疾」という理由のもとに就学義務免除が当然とされて,義務教育から除外されていくという結果となったということができよう.
しかし,だからといって,肢体不自由児の教育が全く行われず,また義務教育化への努力もなされなかったというわけではない.むしろ,昭和54年度の養護学校の義務制施行へ向って一歩一歩前進してきたといってよいであろう.今日,肢体不自由療育事業の始祖とされている高木憲次は,田代義徳の東京帝国大学整形外科教室に入り治療とともに教育を受けられる「教療所」が必要であることを痛感し,大正7年ごろから,「夢の楽園教療所」の説をとなえ,これが間接的に東京市立光明学校設立の推進力にもなり,昭和17年の整肢療護園創設へと発展する.
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