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はじめに
中島 視覚障害者の社会復帰の問題というのはそれが大事であるにもかかわらず,一般に,問題の重要さが知られていない面があります.今日ご出席の先生方は,日本のこの問題の最高権威の方々ですが,この問題に関するかかわり合いを数分ずつぐらい自己紹介の意味を兼ねてお願いして,それから問題に入りたいと思います.ます,岩橋先生から皮切りをお願い致します.
岩橋 私は日本ライトハウスで,按摩,鍼,灸,いわゆる日本における盲人の天職といわれてきた職業以外の職種を開発したいと思いましてやっております.といいますのは,10年前にニューヨークで,世界盲人福祉協議会の総会がありまして,その時に日本の盲人の職種の狭いのは,先進国であるとはいいながら,チュニジア並みだ,といわれたことが頭にこびりつきまして,それから始めたわけでございます.
こういうわけで今日は職業問題,特に中途失明者のいわゆる新職業といいますか,そうした面でお話したいと参加させていただいた次第でございます.
中島 岩橋先生のやっておられるライトハウスは厚生省あたりがこの問題で新しいことというといつも教わりに伺うという位によくおやりになっておられます.それでは,次に小柳先生にお願い致します.
小柳 国立特殊教育総合研究所で視覚障害教育を担当しております.3年前に研究所ができましたので,その時に東北大学から移って参りました.
私どもの研究所は,文部省の直轄でございますので,文部省と常にタイアップしながら研究を進めております.そして一方では,教育の現場と密接な連携を保ちながら,当面する諸問題について,その解決を図る,これが私どもの仕事でございます.
そういうわけで,視覚障害者のリハビリテーションといったことには直接関係しておりませんが,リハビリテーションの関連領域と申しますか,今日の座談会でも話題の1つになると思われますが盲幼児の問題にしましても,研究所全体で心身障害児の早期教育に関する実証的研究というテーマに,この2年間,取り組んできております.また,私どもの研究部では盲学校における養護・訓練の問題であるとか,あるいは最近,視覚障害に加えて他の障害をあわせてもつお子さんが,盲学校にたくさん入ってくるようになりまして,その教育をどうするか,といった問題,それに統合教育とか,インテグレーションとか呼ばれているそういう障害児教育の新しい動きも十分に心にとめております.
そのほか,視覚障害児のための補助用具や教育機器の開発およびその活用に関する問題,そういったような仕事をしておりまして,行政にも現場にもかかわり合いを持っている,そういう点ではいろいろ苦労もしております.
中島 久里浜にこの研究所はあるんですが,となりに学校もありますね.
小柳 ええ,国立久里浜養護学校というんですが,二重,三重の障害を持ったお子さんたちが,幼稚部と小学部あわせて,現在,30名ほど入っております.遠い所では広島からきているお子さんもおります.私どもも側面から先生方のお手伝いをしています.
研究所といいましても,研究ばかりをしているわけではございません.障害児の教育相談もおこなっておりますし,そのために付属の教育相談施設も設置されています.
また,特殊教育にたずさわっている現場の先生方を対象とした長期および短期の研修もおこなっております.
中島 どうも有難うございました.それでは,次に湖崎先生,眼科の代表ということで.
湖崎 最初この仕事にかかわったのは,昭和35年頃に私どもが小児眼科とか,斜視,弱視とかそういうものを手がけた時で,その時に,視覚障害の子供が,随分私を尋ねてやって参りまして,そういう子供達にいつでも教育をどうすればいいか,という相談を受けました.そこで,ある程度まだ視覚の残っている子供達も盲学校でしか教育の場がない,ということに初めてその時に気がついたわけです.
それで,よくあちらこちらで調べてみますと,たとえば,矯正視力が0.2か0.3ぐらいあるのにもかかわらず,点字を教えるのに目に鉢巻をして目が全く見えないという状態で点字を教えた,ということを聞きまして,これはおかしいと,その頃はまだ私も随分若くて思い切ったことがいえた時代でございましたから,それで全国の盲学校にいたり,普通学校の中にいる視覚障害児を調べようというので,昭和36年に戦後初めての大阪府下全域の視覚障害の実態調査をやりました.そして,それがきっかけで,大阪の府下と大阪市内に日本で戦後初めての弱視学級,つまり,普通の小学校の中の弱視学級,これは今でも自分で,まあ眼科医としての自分の人生では一番素晴らしい仕事をしたと思うのですが,日本で戦後初めての弱視学級を作りまして,それからもう11年になります.
それで,その頃の同志を糾合して作ったのが日本弱視教育研究会です.そこで,盲学校の先生達の教育に対する対し方を見ていると,非常に経験主義的であったりして,とても学問と呼べるほどのものではないし,毎年研究会に出ても,去年やった研究を,次の年にまた誰かが同じテーマでやっているというような,非常に旧態依然たる状態なので,それを正しく発展させるのにはジャーナルが要るだろうと考えました.これも全く今から思えば大変な度胸ですけれども,とび込みで「点字毎日」に話をして,そして「弱視教育」という雑誌を作りました.それが確か36年位ですね,それで,その雑誌が研究会の母体になり,それが今日まで及んでおります.
その後,自分が小児眼科専門の医者になって,ますますそういう子供に接することが多くなりました.視覚障害の子供達のための現在までの医療施設と,大抵のお医者さんというのは,視覚障害というものについて,ただもう「あなたの子供は,ここまでしか見えないんですよ」という引導を渡すだけの仕事であるという現実を見て,これはいかんということで,したがって,リハビリテーションとかハビリテーションとかそういうことに対して何とか日本の今の医療もなおして欲しいということを一生懸命思っておりました.
中島 有難うございました.それでは次に松井先生にひとつお願い致します.松井先生にはいろいろお世話になっておりまして.
松井 私は戦争で失明して,今日ここにお見えになっている岩崎先生のお父さんの門下生といった方がいいと思いますね.随分薫陶を受け,どうやらこの視力障害者の関係の仕事に従事するようになったわけです.最初は7年位盲学校の教育に従事し,それから厚生省の方へ入り,国立の視力障害センターでリハビリテーションの仕事に従事して,23年間,ほとんど大多数が相談業務でございました.総合相談ですがちょうど2万人以上の方の中途失明の相談業務に当たってきたわけなのです.その相談業務の中で,途中で目の見えなくなった者とか,あるいは,盲児を持つ母親達がどんなに苦しむか,ということを身をもって経験しひしひしと感ずるものがあったわけなんです.
そんな点で,私は早期更生指導と早期教育ということが大事だ,と感じておりましたけれども,何といいましてもやはり眼科,特に眼科臨床と更生指導,あるいは教育との間に大きな空白があることに気づいていたわけなんです.
したがって,この辺でこの盲点を何とかして埋めたいと思い,国立病院の中に,眼科クリニックのようなものを早く設置することによって視覚障害者のリハビリテーションはうまくいくのではないか,ということを感じておったのです.それで,国立の方へお願いしたけれども,なかなかやってくれないし,相談のケースがリハビリテーションのコースから外れていく,という現実をみてこれではいけない,と思っていた時に,たまたま中島先生がお見えになって,その話をしたら,「よしやろう,うちでやってみようじゃないか」というふうなことで,話が始まったのが10年前でございますね.その時に眼科リハビリテーションクリニックを実施していただきましたので,中島先生のご指導をいただきながら,そちらの方にも10年間お手伝いさせていただいているわけです.
それから,現在は東北大学の視覚欠陥学教室の方に教鞭をとりながら,日本盲人カナタイプ協会の職業訓練センターで,按摩,鍼,灸以外の職業開拓の仕事をしております.
本当にこの席を借りて,中島先生のご英断によってわが国ではじめての眼科リハビリテーションクリニックが始められたということにお礼を申し上げたいと思うわけです.ただし,こうして10年経って,いろいろ実績を上げていながらも,まだわが国に眼科リハビリテーションクリニックが定着をみていないということは誠に嘆かわしいことであり,今後の課題を痛切に感じております.
中島 有難うございました.
今日この問題をアウトサイダーの立場からいろいろ聞いていただくという意味で,この「総合リハビリテーション」の編集に携わっておられる大川先生においでいただいているわけですが,この前に編集の打合せを致しました時にも,どうもこの視覚障害者のリハビリテーションというのは非常に外から見ていてわかり難い,というお話があったのです.今日おそらく座談会をお読みになる方は,この問題にどっぷりつかっているのでない方々が大多数です.その意味で先生に読者に代っていろいろと聞いていただくのが一番読者にピッタリするのではないかと思います.そういうことを含めまして先生からお話を伺いたいと思います.
大川 今日は率直なところ,読者の代表,あるいは,編集委員の身代わりみたいな形でここに出席させていただいているわけなんです.まず第一に私は,リハビリテーション医学というものを独立した医学の一分野であるということを日本に確立したい,ということを非常に願っているわけなんです.その段階で今ここにも出ておりますが,いわゆる三療とリハビリテーション医学のメディカルスタッフとの問題ということで,この10年間位いろいろ悩みもあるということでかかわっております.次に私達がいつも感じますのは,視覚障害者のリハビリテーションということで私達がみてみますと,何か三療があるために他の障害者より率直にいって恵まれているのではないだろうか,というような印象を受けているんです.
それから,もう1つは,障害者自身の助け合いといいますか,いろいろのものが他の障害者に比して,伝統的なものがあるのでしょうけれども,非常に何か良くいっているんじゃないだろうか,というふうな印象を受けています.
ところがよく考えてみると,いろんな問題があるということは朧気ながらわかるという程度に留まってしまって,その辺のインフォメーションだとかがもっともっとあってもいいんじゃないかと思います.そういうことで,いろいろなお話をお聞きしたいというふうに思っております.
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