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編集後記
鹿
pp.606
発行日 2003年6月10日
Published Date 2003/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552102702
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以前,先生方からいただく原稿は宝のように大事なものであって,その取り扱いも丁寧をきわめていた.添付される図表を含めて手書き,文字の1字1字にも味わいがあり,「原稿整理」にも充実感があった.フィルムや写真も同様,それ一つしかないわけだから誤って紛失でもしたら大変,入社当時,火がでたら何はさておき原稿だけもって逃げろと教わった.これらはたった2,30年前のこと,今や「原稿」の元は筆者のコンピュータのなかにあり,われわれはメールで送られてきた原稿を「データ」と呼んでパソコン上で整理をし,印刷所に流してそこで処理される.便利は結構,だけど寂しい.ところで最近,パソコンのせいでもなかろうが,ものを書いたり記録したりすることの「重さ」が軽くなっていると感じる.司馬遷は辱めを受け,生き恥をさらしながら「史記」を書き付け,そのことのためだけに生きたという.街の本屋さんには溢れるほどの本が並んでいるけれど,そんな本を読みたい.
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