Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
大伴家持の芸術療法―『万葉集』巻第19より
高橋 正雄
1
1筑波大学身心障害学系
pp.280
発行日 2004年3月10日
Published Date 2004/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552100723
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『万葉集』巻第19の末尾には,天平勝宝5年2月25日に大伴家持(718?~785)が詠んだ「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば」という古今の絶唱が載せられているが,この近代人の憂愁を思わせる秀歌には,次のような詞書きがつけられている.「春日遅々に,鶬鶊正に啼く.悽惆の意,歌に非ずしては撥ひ難きのみ.よりてこの歌を作り,式て締緒を展ぶ」(春の日はうららかに照り,うぐいすは今しも鳴いている.痛むこの心は,歌でないと紛らわしがたい.そこでこの歌を作って,鬱屈した気持を散じる)(小島憲之・木下正俊・佐竹昭広訳注『日本古典文学全集・5』,小学館).
家持は,「痛むこの心は,歌でないと紛らわしがたい」,「この歌を作って,鬱屈した気持を散じる」と,自らの心の痛みを和らげるためにこの歌を詠んだと語っているのである.そのため,この詞書きは,和歌による心の癒しという和歌の芸術療法的な機能を記した最古の文献の一つということになるが,家持は中国の漢代に著された『毛詩』の影響を受けていたようで,『毛詩』の序では「詩は人の志の発露である」として,詩と心情の関係が次のように語られている.「心中に感情が動いて言葉に現われ,言葉に現わしただけでは足らずしてこれを嵯嘆し,それでも足らずして声を引いて詠い,歌っても足らずついに手の舞い足の踏むを知らざるにいたる」.
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