Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
『ドン・キホーテ』のサンチョ・パンサ―同伴者という思想
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.1200
発行日 2004年12月10日
Published Date 2004/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552100689
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1615年に発表された『ドン・キホーテ』(永田寛定訳,岩波書店)の続編第33には,サンチョ・パンサが,公爵夫人にドン・キホーテとの関係を語る場面があるため,この従者が主人の狂気をどのように見ていたかを考えるうえでも興味深い章である.
まずサンチョは,「最初に言っとくだが,わしゃ主人のドン・キホーテを手のつけられねえきちげえと思っとりますだ」と,ドン・キホーテの狂気そのものには疑いがないことを断言する.サンチョは,ドン・キホーテも時には賢いことや筋の通ったことを言うことは認めつつも,「それでもね,ふんとのところ,まちげえの心ぺえなく,主人が乱心者だってことがわしにゃ動かねえ」と語るのである.
ところが,それを聞いた公爵夫人が,ドン・キホーテが道理のわからない乱心者であることを知りながら,奉公をやめずについて歩くとすれば,家来のほうが主人より愚か者に違いないという趣旨の発言をすると,サンチョは次のように答えている.「わしがもし賢かったら,とっくのむかしに,主人を棄ててるでがしょうよ.けんど,これがわしの運命で,これがわしの不しあわせでさ」.サンチョは,「わしゃ,ほかにしようがねえ.主人について歩くばかりでさ.ふたりは同じ村の人間で,わしゃ主人のパンを食ってきただし,主人を愛してるだ.主人も義理がたい人でね」,「だから,シャベルと鍬をもちだすことにでもならなけりゃ,わしたちを離れさせることはできねえでがす」と,ドン・キホーテの狂気は十分承知しながらも,これまでの二人の関係やドン・キホーテに対する愛情から,主人を見捨てることはできないと語るのである.
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