21世紀の看護を考えるルポルタージュ ホスピスへの遠い道—マザー・メアリー・エイケンヘッドの生涯・15
≪ドン・キホーテ≫の死と≪ギール≫の街の人々
岡村 昭彦
pp.760-767
発行日 1984年12月25日
Published Date 1984/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908032
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午前5時30分—Geel駅の待合室にて
小さな田舎の駅であった.腕時計はきっかり5時30分を指している.昨夕,19時55分にDublin空港からサベナ航空の634便に乗り,ブリュッセルに着いたのは22時20分を少し回っていた.アイルランドとの時差は1時間.実質の飛行時間は約1時間半である.入国手続きはまことに簡単.パスポートを開いて見ただけで,スタンプもおさない.日本での諏訪日赤のゼミの期日が目前に迫っているので,私は先を急いだ.私は空港の大型コインロッカーに,日本に持ち帰るトランクを2個押し込み,急いで地下の列車乗り場に走っていった.どうしても,今夜のうちにアントワープまでは行き着きたかったからである.
東ブリュッセル駅には全国バス・ターミナルがありGeelまでの便もあるのだが,既に終車は出たあとである.私はブリュッセルまで出て,アントワープ行きの最終列車を待った.水曜日の深夜だというのに座席は半分ほど埋まっていた.隣では,見るからに新聞社のカメラマンの男がひざの上に明日の朝刊を載せ,スポーツの写真らしいネガを整理しはじめた.そのとき,先ほど通り抜けた東ブリュッセルの駅に着いた.窓から見降ろすと,高い高架の線路の下が,まばゆいばかりに輝いているではないか.私の脳裏を電光のようなものが走った.
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