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大正6年に萩原朔太郎(1886~1942)が発表した詩集『月に吠える』の序には,「私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる」という文で始まる一節がある.このなかで朔太郎は,狂水病患者の心理に思いを致して,「あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ.コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは,どんなにしても我々には想像のおよばないことである」と語る.朔太郎は,「もし傍人がこの病気について特種の智識をもたなかつた場合には彼に対してどんな惨酷な悪戯が行はれないとも限らない」として,このような特異な心理に対する無理解が患者に及ぼす災厄の大きさを思うと戦慄すると言うのである.
そのうえで朔太郎は,「これらの心理は,我々にとっては只々不可思議千万のものといふの外はない」が,「あの患者にとつてはそれが何よりも真実な事実なのである」と,患者の主観的な事実の重要性を指摘する.もっとも,普通の恐水病の患者がこの奇異な感情を表現することは困難であろうが,その患者に詩人としての才能があるなら,「彼は詩を作るにちがひない」と,朔太郎は断定する.なぜなら,「詩はただ,病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめ」だからである.「詩を思ふと,烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる」と語る朔太郎は,詩というもののイメージを次のように表現する.「私どもは時々,不具な子供のやうないぢらしい心で,部屋の暗い片隅にすすり泣きをする.さういふ時,ぴつたりと肩により添ひながら,ふるへる自分の心臓の上に,やさしい手をおいてくれる乙女がある.その看護婦の乙女が詩である」.そして朔太郎は,自分が詩を書く心理についても,「月に吠える犬は,自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである」,「私は私自身の陰鬱な影を,月夜の地上に釘づけにしてしまひたい.影が,永久に私のあとを追つて来ないやうに」と説明して,この序を終えるのである.
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