特別企画 これからの理学療法士に期待すること(1)
<医師の立場から>理学療法士へのお願い/<医師の立場から>医療の協業者としての期待/<医師の立場から>脳の世紀にふさわしい運動療法を目指して―脳の可塑性と片麻痺への運動療法/<義肢装具士立場から>相互理解を深めたい/<看護婦の立場から>障害者の可能性を引き出して
初山 泰弘
1
,
前田 真治
2
,
川平 和美
3
,
井口 万里
4
,
小林 芳恵
5
1国立身体障害者リハビリテーションセンター
2北里大学東病院リハビリテーション科
3鹿児島大学医学部リハビリテーション科
4早稲田医療専門学校義肢装具学科
5甲州リハビリテーション病院
pp.357-363
発行日 1996年5月15日
Published Date 1996/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104549
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東京オリンピックの翌年,昭和40年,主任教授から,Y国立病院内に整形外科を新設するためと,国立Y大学に特殊教育学科が開設されるので,そこの非常勤講師をも兼ねて赴任するようにと命令されました.それまでは,理学療法との関連は,整形外科医として,M日赤のポリオセンターや整肢療護園(現・心身障害児総合医療療育センター)で術後患者の装具製作や大学の衛生看護学科卒業生らと共に機能訓練に加わった程度でした.
Y国立病院では外科とともに理学診療科があり,そこにはマッサージ師のS氏が勤務していました.その年は理学療法士・作業療法士法の制定された年で,経過措置に従い国家試験を受けるため,S氏の仲間,柔道整復師,按摩マーサージ師,はり・きゅう師その他の職種など10数名が集まり,毎週何回か夜,受験勉強をすることになりました.私もいくらかお手伝いをしましたが,当時はどの程度の内容を教えるべきか試行錯誤の日々でした.幸い皆の努力が実を結び,殆どは2~3回の受験で合格し,その中の何人かは今も現役で活躍されていますが,当時の夜の寺子屋式研修がなつかしく思い出されます.
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