プログレス
未熟児治療の進歩(あるいは周産期医療の進歩か?)
久保 隆彦
1
1高知医科大学周産母子センター
pp.555
発行日 1994年8月15日
Published Date 1994/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104067
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まだ14~15年しか臨床に携わっていない小生がこんな大それたタイトルで散文を書くなど,この領域の諸先輩に笑われてしまう.今年のNICU春季増刊号『新生児呼吸管理のすべて』に新生児第二世代の諸先生が昔のこぼれ話を書いている.それによると,1975~1980年が我が国の未熟児医療の大変換期であったようである.すなわち,成人あるいは小児用の人工呼吸器からGregoryの開発したCPAP,あるいは新生児専用人工呼吸器の使用,画期的とも言える藤原哲郎先生の開発した人工サーファクタントの臨床応用など,それまで最大の死因であった呼吸障害(IRDS)に対して新生児医が初めて強力な武器を持ち,その疾患を克服し,ハイリスク未熟児(極小未熟児,超未熟児)を救命できるようになった時期と言える.
1979年に岡山大学を卒業し,その足で聖隷浜松病院未熟児センターに無給研修医としてお世話になった.当時の聖隷浜松病院未熟児センターは米国のNICUを手本とした超近代的設備を有する,我が国でも最先端の未熟児センターであった.センターテーブル方式(NICUの中心にハイテーブルを設置し,看護婦の動線を短縮する.),心拍・血圧・呼吸・TcPO2・TcPCO2などのハイテクモニターと光線治療器が装備された20数台の最新保育器,10数台の新生児用人工呼吸器(ボーンズ社BP-200),特殊装置(X線撮影装置,血液ガス分析装置,2台の人工呼吸器と保育器)が整備され,まさに動くNICUと言える新生児用救急車など,それまで苦労していた新生児医にとっては垂涎の未熟児センターであった.
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