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編集後記
高橋 哲也
pp.724
発行日 2011年8月15日
Published Date 2011/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551102048
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東日本大震災が起きて4か月が経過しました.母の実家が岩手県釜石市にあることから,先日,両親と兄と一緒に釜石市を訪問しました.釜石市に入ってすぐは震災の影響は全くといっていいほど見られませんでしたが,釜石駅の東側の大渡橋を越えると風景は一変,津波の影響で町は壊滅状態でした.その後,大槌町,山田町,宮古市とまわりましたが,どの町も津波の被害は甚大で,地震による災害というよりも津波による災害という様相でした.本号では丸田氏と田中・室伏氏がそれぞれボランティア活動と災害支援活動について「ひろば」に寄稿していますが,「ひとりの人間として自分には何ができるのか」という問答には結局答えを出すことはできませんでした.
地元の人は「釜石港は水深63mにある全長2kmの湾口防波堤が津波の被害を低く抑えてくれた.防波堤がなかったらもっとひどかった.」と話していて,あらためて防波堤の重要性を感じましたが,結局,港近くの市街地を中心に市全域で1,300人以上の死者・行方不明者が出てしまい,総工費1,200億円かけてハードをいくら整備しても限界があることは明白でした.釜石市唐丹小学校では,地元の長老が,校庭に避難していた小学生に「今すぐ高台に逃げるように」と指示したおかげで,校舎全体が津波に飲み込まれたにもかかわらず,死者・不明者が出なかったとのことでした.この話を聞き,あらためて「地震が来たら高台に避難」というソフト面の予防対策(避難教育)が必要であると思いました.
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