とびら
実感すること
竹中 弘行
1
1湯河原厚生年金病院
pp.97
発行日 2011年2月15日
Published Date 2011/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551101863
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幼い頃,山間の小さな村で祖父母と暮らした.昔話ではなく,山へ柴刈りに行き,かまどでご飯を炊き,風呂を沸かす.井戸からくみ上げた水を炊事場の水瓶や五右衛門風呂に入れる.水は冷たくて運ぶとゆらゆらして重く,火はパチパチと暖かく明るかった.私にとっての「水」と「火」の実感である.オール電化の世の中では今は何処の感は拭えないが…….
ひるがえり,理学療法士としての仕事をしてはや30年.仕事の中にある実感は幾ばくのものであろうか? かなり不安がよぎる.新人時代,諸先輩から直接指導を受け,患者さんの反応の違いを実感した.そして学ぶにあたり本物に接することの大切さも教えていただいた.多くのことは一見簡単そうに見えて,やるとうまく行かない.見るとやるとでは大違いである.でも,できそうでできないことに出会うと思わず引き込まれて熱中してしまい,時間を忘れて続けてしまうということは皆経験するのではないか.その結果,自ら見つけた「これだ!」という発見は実に気分が良い.できてしまえば簡単・単純なことも多いが,「これだ」という実感と達成感は大きい.セラピストの「アハ体験」.患者さんとこの感覚が共有できた時に味わえる快感と成功感でここまで続けてきたような気がする.
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