私の発言
行為の中で実感できる看護
結城 永子
1
1郡山保健所
pp.457-460
発行日 1979年8月25日
Published Date 1979/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907352
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保健婦自身の中にある問題
いま,私には‘看護’というものが,とどきそうでとどかない,とてもいじわるな存在に思えてならない.わずかながらの現場経験の中で,私は何をよりどころとして仕事をしてきたのだろうか.というより,これから何に依拠しながら仕事をすすめていったらよいのかが,つかめない状態である.ジャン・バルジャンが下水道の泥沼の中で得た手ごたえなど,いまの私には何であるのか,見当もつかない.
‘看護とは看護婦と患者との人間関係のプロセスであり,しかもダイナミックな関係である’とか,‘その人の生活過程そのものへ援助することである’とか,いろいろな方たちによって,その本質が問われてきている.それらを読んだり,説明されたりして,自分なりにその時はわかったつもりでも,実際の自分の行為の中では実感として受けとめていなかった.
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