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はじめに―教育の現場から倫理を考える
小学校から道徳教育が行われてきたにもかかわらず,真正面から正眼に構えて「倫理とは何か」と問われれば,大学生でなくても難解な禅問答を仕掛けられたようで戸惑うことでしょう.「倫理」というととっつきにくいというイメージをもつのは筆者も同じです.「倫理」をより身近な「道徳」という言葉に置き換えたとしても同じでしょう.
倫理的に生きるということは,人間としてあたりまえのこと(倫理的価値)を,あたりまえに行うこと(倫理的行為)ですが,前述の「戸惑い」はその「あたりまえのこと」がわからなくなっていることに起因しているのではないでしょうか.それは,倫理的行為の根拠となる倫理的価値が時代によって変化して多様化してきたためであると考えます.現代社会においては,複雑な状況のなかで生じる倫理的問題を,根本となる倫理原則に則って論理的思考(演繹的・帰納的思考)によって解決しなければならないと言えます.私たちは,着地点のわからない迷走する不確実性の時代に生きているからこそ,根本的な人間としての倫理を大切にしなければならないのです.
端的に言えば,倫理は「人間のあるべき関係の道筋」です.私たちが社会のなかで何らかの行為をする時に,「これは善いことか,正しいことか」と判断する際の根拠となるものです.このなかには当然,人間関係から生じる問題が含まれることになります.
倫理的問題をいくら論理的に考えたとしても,必ずディレンマが生じます.ディレンマとは,例えば1つの原則や権利などを守ろうとした時,それに反する他の原則や権利が生じ,どちらをとっても当事者に満足や納得のいく結果をもたらさない状況です.倫理的ディレンマは,信念をもって正しい人間関係を考えようとする人々が悩まざるを得ない状況のことであり,人間の宿命とも言えます.
ダン・アリエリー1)が「予想通りに不合理」という著書のなかで述べていますが,私たちは,社会的規範(倫理・道徳)と市場の規範(お金)の両方の世界に生きています.この両者のせめぎあいが常に社会のなかで生じています.市場の規範が優先されることなく,倫理・道徳という社会的規範が大きな役割を果たす社会であってほしいと思います.そのためには倫理教育が大切です.また倫理は,「最大多数の最大幸福」を考える功利主義や個人の尊厳を大切にする個人主義から影響を受けます.個人と多数の人のせめぎあいが倫理的問題を生じさせます.
「倫理は誰のためにあるのか」というと,良心に基づいて行動している人のためにあると言ってよいと思います.人は,法によって規制されなくても良心をよりどころに社会生活を営んでいます.人間は社会的存在でかつ自覚的存在であるからこそ,社会的規範としての倫理がその道を照らす一灯となるのです.
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