- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに
日本理学療法士協会(以下,本会)は定款第3条に「本会は,理学療法士の人格,倫理および学術技能を研鑽し,わが国の理学療法の普及向上を図るとともに国民保健の発展に寄与することを目的とする」と定めている.しかし,最近では理学療法士による事故や事件が報道されており,人を治療すべき職業人としてあってはならないことである.職業倫理に関わる問題は理学療法士のみに目立っているわけではなく,日本全体に蔓延している状況である.その背景として社会的倫理の後退がいわれている.加えて,物欲主義による価値基準や大量生産・大量消費主義による使い捨て思想の蔓延,そして個々の人間の孤立化による対人関係の崩壊なども影響していると思う.しかし,人と接する理学療法を職業として選択したこと,通常業務として身体接触を繰り返すこと,治療者であることなどを前提とした専門職の果たすべき責任について,より深く思慮しなければならない.
また,この数年,医療崩壊が進んでいることが報告され,特に外科,産婦人科,小児科などリスクの高い診療科の状況はひっ迫している.このような荒廃した状況は,全体としての医療倫理の後退につながる危険性が高く,自戒が必要である.リハビリテーション(以下,リハビリ)分野でも,障害者自立支援法の施行,診療報酬の算定日数の設定,在院日数の短縮を重視した病院からの無理な退院などの同質な問題を抱えている.これらも専門職の倫理として考えねばならない点である.倫理とは自らの利益のみを追求するのではなく,障害者や高齢者などの利用者の立場を鑑みることから始まるものである.
医学は科学であり,医療は社会的承認と考えられる.医療は医学ほどの科学性がない面があり,それゆえに文化や社会的通念の影響を受け,その延長線上に医学以上の社会的承認が求められている.また,倫理も個々の文化と切り離せない存在であり,それゆえに国や地域そして宗教などによって差異がある.一方,人間は社会を作る動物である以上は社会規範が必要となり,倫理についての重要事項は法律によって規制が加えられており,なかには犯罪となることもある.犯罪に含まれるほどの倫理違反は,判例などとしてその輪郭を形作ることが可能である.しかし,犯罪には該当しないような臨床倫理については,その1つひとつの倫理のもつ社会的拘束力に対する考え方に相違があり,悩ましい問題である.
倫理を構成する要素に患者や利用者の権利があり,ベルナルディは自然法則に立脚した5つの原則を述べている(表1).この自然法則での原理にも二重効果の原則(1つの行為から善い効果と悪い効果が生じること)があり,悪い結果が生じることを想定内と考えている.結果として生じた悪作用は原則の間違いではなく,単なる肉体的な損害として考える必要性を指摘している1).そこに臨床倫理の困難性を感じる.
1995年に改訂された患者の権利に関するリスボン宣言では11項目の原則が列挙されているが,患者の権利という視点で整理すると8項目(表2)となる.そしてその序文のなかで「医師は,常に良心に従って,また常に患者の最善の利益に従って行動すべきであると同時に,患者の自律性と正義を保証するために努力を払わねばならない」とし,さらに「医療従事者および医療組織は,この権利を認識し,擁護していくうえで協働の責任を負っている」としている.ここにわれわれ理学療法士も医師と同等な患者の権利を守るという責任を有していることが語られている.その責任こそが「倫理」を構成しているといえる.
日本医師会では倫理は患者の自立性(autonomy)の尊重,善行(beneficence),公正(fairness)で構成されているとしている2).理学療法士が臨床活動を行うに当たっては,ただ単に利用者の権利を尊重するのではなく,社会的に弱い立場に陥っている存在として十分に配慮することが求められている.
本稿では,37年間にわたって臨床で理学療法士業務を行ってきた私の経験をもとに「臨床活動と倫理」について自省を含めて記述する.
Copyright © 2010, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.