- 有料閲覧
- 文献概要
急性期,回復期,維持期に加えて終末期もリハビリテーションの対象とされ,終末期における理学療法士(以下PT)のかかわりも問われるようになっている.私はこの5,6年間,訪問理学療法を行い様々な方と出会ってきた中で,「終末期」という言葉を聞くと2人の方を思い出す.
90歳男性のAさんは,大動脈瘤手術後に誤嚥性肺炎を併発し,胃ろう造設後自宅退院をされた.それまで毎朝散歩をし,日曜日には教会に出かけていた父親像からは想像もつかない様子で帰った父を,家族はどんな思いで迎えたのだろうか.家族は回復を願い,看護師の訪問が始まり,退院数週間後にはPTの訪問が開始された.「このままでは…」という不安と「また歩いて散歩に…」という期待から家族は週2回のPTの訪問を希望されていた.しかしAさんの状態と体力から週1回の訪問を開始したが,「やはり2回」との希望を受け入れ途中から週2回の訪問に変更した.しかし,高齢のAさんは家族の期待とは裏腹に傾眠状態と不穏を繰り返し,「リハビリの日を楽しみにしている」という家族の言葉を,「これは本人の気持ちなのかな」と疑問に思うこともあった.当初,Aさんが高齢であることと状態から「機能的にはこのくらいが限界ではないだろうか」と思っていた私も,毎回の訪問で,“座れば拍手,立てれば拍手”という,家族の父を思う気持ちを次第に受け止められるようになった.やがてAさんは発熱を繰り返すようになり,看護師の訪問も増えていく中,継続か中断か迷いつつの訪問であった.家族が「少しでもよくなるように」と継続を希望されていることは十分に伝わってきていたが,PTの訪問継続に具体的な目的を見出せずに,担当ケアマネジャーにそれとなく終了を考えていることを相談した.家族の気持ちは十分に理解したつもりであったが,「よくなるために」と介護を続けている家族を目の前にすると終了の話は中々切り出せず,訪問を終了にすることは「これ以上の回復の望みはありません」と暗に言い渡すことになるのではないかと,できるだけ続けることを決めた.Aさんが亡くなる1週間前まで訪問を続けたが,最後は軽く手足を動かして呼びかけたり,家族の話を聞くにとどまることがほとんどであった.後日訪問した際,訪問の継続については迷いがあったことを家族に話したところ,最後まで来てくれたことで悔いはないと言われ,訪問を継続したことについて自分の中で意味づけができた.
Copyright © 2004, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.