コーヒーブレイク
平澤先生のこと
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.1251
発行日 1996年11月15日
Published Date 1996/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542903157
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前号に触れたフィッシャーというドイツ人教師が良寛を書いた「蓮の露」(英文)という本は後年独文や邦文にも訳されたが,最初に彼の目を開かせたのは大正13年から昭和21年まで新潟医大の解剖学教授であった平澤興先生といわれる.錐体外路系の研究で学士院賞を受賞した後に京大に転出後は総長も務められた方である.
私は先生が新潟在任中に講義を受けた最後のクラスであったが,医学に進んで最初にして最大のカルチャーショックを与えられた方でもある.私のみでなく多くの学徒の敬慕を得られたのは学問への姿勢もあったが,識見の卓抜さにもあった.敗戦も真近の頃の解剖学講義を通じて,超論理主義の空気の中で育った私たちに繰り返し「事実を粗末にしないでよく見つめ,真実のみを追究するのが医学である」とたたきこまれた.ここから戦後をそして一生を通じての科学への参入の確信を得ることができた恩は忘れられない.
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