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映画「愛を乞うひと」は,母の子に対する強烈な虐待がストーリーの重要な部分を占める.豊子(原田美枝子:娘:照恵との二役)は戦後の混乱期の生活苦の中で,夜の商売などをしながら身体を張って日銭を稼いで生きてきた.その娘照恵は,物心ついたころから,母親から折檻を受けつづけていた.照恵の父(中井貴一)は台湾人でとても優しい人であったが,病死した後母親の虐待に拍車がかかった.殴られて顔が腫れる,髪をひっぱられて束になって抜ける,階段から突き落とされる,それでも娘は耐え続けた.時は流れ,何十年かの時が過ぎ,彼女は結婚もし,今や高校生の一人娘がおり,やっと落ち着いた生活を送ることができるようになっていた.しかし,どれだけ時が流れても,彼女には忘れられないトラウマがあった.雨の中,父が母の虐待から自分を守るために母から引き離した日のこと,そして何よりわが子への愛し方を知らずに暴力によってしか愛を乞うことができなかった母のことである.この映画では,母の折檻をどう受け止めたらいいのかわからないまま耐え忍び,愛を乞い続けた娘の姿が切々と描かれて心に迫る.
さて,幸せなことに,私には狂おしいくらい好きな母がいる.弟が生まれるまでの私はいわば末っ子のように育ち,幼い頃からとりわけ母に対する思慕が強かった.幼稚園生のときは,朝が来ると急に幼稚園には行きたくなくなり,母のスカートのすそを握り締め,毎日のように泣いてばかりいた.小学生の頃の私には,父,母,私,兄の順番に床を並べて寝るのが一日の終わりの何よりも幸せな行事であった.それは小学校二年生の春,真夜中のことであった.大分県地方に比較的大きな地震が襲った.人生で初めて体験する得体の知れない不穏な出来事に,なすすべもなく呆然としていた私に,母は半狂乱になって,私と兄の身体に覆いかぶさり続けた.地震の終わりとともに暗闇の中で垣間見た,放心したように安堵した母の美しい横顔は今でも忘れない.
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