特集 わが病院のめざすもの—新・改築時の理念と実際
今津赤十字病院—180床(一般120,痴呆60)
鵜池 保之
1
Yasuyuki UIKE
1
1今津赤十字病院
pp.1046-1047
発行日 1988年12月1日
Published Date 1988/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541209444
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本院の変遷と新築の契機
結核の歴史とともに
昭和4年,富国強兵下の亡国病,結核が全世界の若者を冒し,日本もその例外ではなかった.万国赤十字の指導のもとに日本赤十字社も結核撲滅策を練り,全国各地にサナトリウムが設立され,九州では鹿児島の錦江と福岡の今津に白羽の矢が立てられた.
治療法は大気,安静,栄養の三大療法のみであった当時のこと,風光明眉で空気が清澄であり,海の幸に富み,しかも北に山を背負い,冬に降雪を知らない温暖の地,今津が選ばれた.地元発展期成会の肝煎りで10,000坪に及ぶ土地山林の譲渡も順調に進み,初代院長秋武博士が理想に燃えて着任され,45床が開かれた.5年後には100床となり,色とりどりのパラソルは海岸の木蔭を埋め,戸外静臥の花が咲いた.やがて気腹・気胸療法が加わり,すべて個室で広い静臥廊下を有する海辺のサナトリウムとして名を馳せた.戦時中は海軍病院に,終戦時は厚生省引揚病院に接収されたが,昭和22年から再び日赤に返還され,2代目院長勝屋博士の下に戦後のサナトリウムが再開され,小生もその頃に着任した.
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