特集 医師急増時代と病院
医師急増時代の医師会と勤務医
橋本 博
1,2,3
Hiroshi HASHIMOTO
1,2,3
1大阪市立住吉市民病院
2大阪府医師会
3大阪府医師会勤務医部会
pp.935-938
発行日 1984年11月1日
Published Date 1984/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208441
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医療を取り巻く環境はますますきびしさを増してきている.国民医療費の増高をおさえるため今回の健保法改正を手初めとして,医療法の改正,家庭医制度の導入,医療標準の問題等相次ぐ医療改革に病院診療所は今後の展望に対して当惑の感が深い.
また昭和36年国民皆保険を契機とした医療需要の増加に対応するため,医療機関における医師数の不足が当時大きな政治課題となり,昭和45年から医学部の新設が開始され,さらに1県1医大構想が実現された.すなわち昭和35年では,国立21校,公立12校,私立13校で総数46校,入学定員は2,840人であったが,昭和45年50校4,380人となり,以後昭和54年80校8,100人,昭和55年以後,一学年定員数は8,360人となっている.このように医師の養成数が増加傾向を示し(表1),方波見氏による医師数の将来予測では,昭和60年人口10万対164.3から昭和75年で人口10万対218.5人と推計され,さらに昭和80年では医師総数が30万人を突破して人口10万人対232.6人となっている.
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