海外の医療
米国における看護研究の実情
今井 敬子
1
1ペンシルバニア大学看護学部博士課程
pp.1044-1046
発行日 1981年12月1日
Published Date 1981/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207623
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看護はまだプロフェッションではないと言明する看護婦がいる.その人はDr.Schleicher(1981)で,彼女の見解によると,看護はプロフェッションとして独特な知識の本体,教育過程,独立性と同僚のコントロールの発展に欠け,社会サービスとして重要な役割を果たしているという立証がなく,職業的コミットメントに欠けているという.「病院の官僚制度,強い医師によるコントロール,看護プロフェッションとしての強い主張に欠け,ステレオタイプの女性の役割を受け継ぎ,学問と研究に乏しいことがプロフェッションとしての発展を妨げている」という批判はだれもがよく聞く引用文である.米国における看護が世界的には発展していると見なされてはいても,国内における看護のプロフェッションの発展の段階,特に知識の本体についてはSchleicherの声明に同感している無言の看護婦がたくさんいる.こうした職業的な弱さを認めた上で,それに対抗して米国においては看護研究熱は強い.
看護の学問としての確立及び発展の動きは,1949年,厚生省に看護課が設立されてから始まったと言ってよい.厚生省の資料によると1956〜76年の20年間に政府は看護研究資金として約4,000万ドルを961の研究に融資した(1976).国家の援助は研究ばかりにとどまらず,看護研究をする人を教育するためにも施された.
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