人
救急医療センター運営の支柱熊本赤十字病院院長河北靖夫氏
山崎 徳二
1
1熊本中央病院
pp.16
発行日 1977年3月1日
Published Date 1977/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206165
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先生は,昭和6年に熊本医科大学を卒業後直ちに,当時すでに,わが国における臨床血液学の大先達であられた小宮悦造先生の門下に入られ,昭和13年には助教授に進まれたが,師弟の情の厚いことで,小宮—河北のコンビは有名であった.当然のことながら,小宮先生ご退官後は,そのあとを継がれ,昭和22年教授となられ,その後26年間にわたり,第二内科教室という大世帯の主宰者として,教育,研究および臨床に専念され,大きな業績をあげられた.ついで昭和48年ご退官になるや,救急医療を主目的として,新装なった熊本日赤病院の院長として,衆望を担って迎えられた.
先生は,温容の示すがままに,温かく,慈愛に溢れ,人を容れ易く,しかも堅実で自らを律することのきびしいお人柄である.熊本日赤病院が,救急医療センターとして,24時間体制をとり,一丸となって,使命感に燃えながら,医療に専念している姿は,誠に感激にたえないものであるが,その精神的な統合の象徴として,先生の存在がなくてはならぬものであろう,現在のいろいろ困難な問題を抱えている救急医療において,体ゴトに,ブチ当てながら,仕事している若いスタッフを見守っておられる先生のお姿,先生の瞳は,温かくうるんでいるのではなかろうか.これは旧い門下生の独語である.
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