人
赤十字の理想に生きる 名古屋第一赤十字病院 田代勝洲院長
橋本 義雄
1
1愛知医科大学
pp.18
発行日 1973年10月1日
Published Date 1973/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205121
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「友は第二の我なり」という.田代院長と私とは大学の同級生で,昭和4年卒業後同じく名大第一外科,斎藤真教授の門下生になった.在局中でも田代院長は私に比べれば確かに社会に通じ,常識も豊かで,ある信念を持ち,思想的にも"よりおとな"であった.そのころ農村の疲弊による住民を救うために医療利用組合病院の設立に尽力し,遠く秋田県能代にまで出向し悪条件を克服して医療奉仕に尽された.まさに赤十字創立者デュナンの「みな人間同士なのに!」という精神に類するものがあった.私もこれによってその後医療のあり方についてひとつの考え方を実際に教えられた.
現在の病院に赴任されてからは主として"ガンと闘う"の精神に燃え,愛知県対ガン協会の発足に奔走し,次いで愛知県がんセンターの創立に尽し,日赤病院にはガン治療センターを新設して専門の外科技術を通じてガン治療に挑戦された.院長就任後はますます赤十字の理想とする博愛の精神と公平な心の実践を医学教育面にも及ぼし,年の長ずるとともに頑迷のうちにも温情ある心をもって,奉仕という具体的行為により福祉に貢献しておられる.それだからこそ現在の発展した病院の姿があるのだと思う.「友は失うは易く得るは難し」私は田代院長を友に持ったことをこの上なく幸いに思って感謝している.
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