病院の広場
病院の全従業員にむくいる道を考えつづけて
大西 益太郎
1
1更殖中央病院
pp.89
発行日 1973年3月1日
Published Date 1973/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204945
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船医の道を選んだ私
昭和4年東北大学医学部を卒業した私は医局に残らず,船医の道を選んだ.インドに4回往復して,サイパン,テニアンに移民を運び,心境の変化で船医をやめて,南洋興発製糖会社の病院に勤務した.サイパン,テニヤン,ロタの3島を中心に診療に携わりつつ医学論文を作り,昭和10年に母校の熊谷岱蔵先生のところで,内科を専攻して,再びロタ島に帰った.そのうちに矢も盾もたまらず開業したくなり思い切って会社をやめた.これが私の運命の別れ道だった.南洋にいたら一家玉砕していたろう.
こうして中国に渡り,南京で開業したのが昭和14年であった.日本を離れて開業することについては何とも思わなかった.やはりはじめに船医として出発したせいか,広い気持ち,視野といったものが私の中に育っていたためだと思う.
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