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Dr. Hara's Recordtape
原 素行
pp.45-47
発行日 1954年2月1日
Published Date 1954/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200773
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(3)時を稼ぐ必要
昭和22年春と云えば今から6年半も昔のこと,医長会議に出した議題は結核性疾患の患者を一つの病棟に集めて見たいと云うことであつた。外科も,泌尿器科も,整形外科もというわけで,勿論内科の場合も例外でなしに。この時は看護婦の実力が低くて,全科の患者を扱えまいから仕事にならない反対だということで私の敗北になつた。しかし反対理由のうちに表面に出なかつたが患者を方々の病棟に分散入院となつてに手数で困るということは隠せない意見でもあつたらしい。之れが表面に出なかつた事は自他共に天の助けであつたと云える。その後結核の病床が増加した時,"この病院は綜合病院であるのに何故肺結核だけの病床を増すか"という事になつた。そして外科の結核病床もほしいと云う機運になつて来た。その間僅かに1〜2年,時代のせいか,私は却つて非常に悦しい事だと思つた。私の計画は,後日に賛成され,しかし何故早く実施しないのかと,私の方が却つてせき立てられる破目になつた。うれしい悲鳴である。外科患者で肺結核兼症は結核外科病棟へ,整形外科で肺結核兼症の小児患者は小児結核病棟の一室へというように肺結核兼症の入院をも拒絶しないようになつて来た。産婦人科の場合も亦同様である。このようにして私は気の長い男になりつつある。
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