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Ⅰ.はじめに
言語には音声言語と文字言語が区別できる.音声言語はヒトという種に内在する生物学的に固有の能力であり,その獲得には遺伝的に準備されたヒト特有の大脳構造の存在が絶対的に必要である.チンバンジーが言語を持ちうるかどうかという問題に真剣に取り組んでいる学者がいるが,たとえ持ちうるとしても痕跡的なものであって,ヒトの言語能力と同列に比較しうるたぐいの能力でないことは自明であろう.一方,文字言語はこの音声言語の上に派生した能力であって,生物学的に固有の能力ではない.言いかえれば,社会生活をいとなんでいれば自然に備わってくる能力ではない.人類のなかには文字を所有しない種族が現在なお存在するし,長い文字の歴史を有する文明社会においても,つい最近まで文字能力は選ばれた階級の独占物であった.つまり,文字能力を獲得するためには学習が必要で,「既存」の神経機構を文字獲得に動員しなければならない.
文字言語は本来的に聴覚的(聞く)で,口頭的(話す)な言語現象(すなわち音声言語)を視覚的(読む)で記録的(書く)なものに変換したものである.音声言語にも既に恣意的なところがあるが(花をハ/ナと呼ぶのは日本語だけの社会的約束であって,全人類に必然的な呼び方ではない),文字言語は音声言語よりも一段と恣意性が高い.音声言語はさまざまな水準で分節(句,語,形態素,音節,音素など)されているが,どのレベルの分節に対応して記録化,文字化が成し遂げられてきたかは個々の社会の歴史的条件によって大きく異なっている.
たとえば,ヨーロッパではアルファベットが文字表記の単位である.このシステムはひとつの文字を音素と対応させようとしたものである.したがって,基本的な文字の数は少なくてすむが(たとえば英語なら26文字),音素との対応は完全なものでないため,音節や,形態素を表現するには多くの例外が生じざるを得ず,綴り字法(スペリング)にかなり復雑なところがある.一方,中国語では形態素あるいは語のレベルに合わせて表現する方法がとられている.このやり方では音素配列をいかに表記するかという困難は生まれないが,大量の既念に対応しておびただしい数の文字を作り出すことになってしまう.当然文字学習は非常な負担となる.
わが国の文字システムである漢字・仮名併用法は丁度この中間に位置する.仮名は音素の集合である音節を1対1に表現する.音素よりも音節の数が多いのは当然であるが,それでも日本語では非常に少ないという事情も幸いして(全部合わせても約112個.金田一,1956)4),文字数はアルファベット式よりも多くなるものの,特殊な表記法(濁点,半濁点,促音,拗音表記における「つ」の小文字表現など)を用いることで比較的少数に押えられている.音節は発音の基本的心理単位であり,それに合わせた表記法は書き手としては最も容易なものであるはずで,音素単位の表記の時の難問である綴り字学習の困難は生じない.事実,日本では文字言語の学習困難は欧米に比べ遙かに頻度が少ないことが知られている.
一方,漢字は形態素(意味の最小分節),つまり意味を表現するもので,よく知られているように音との系統的な対応はない(Paradisら,1985)6).日本語における漢字の最も特徴的な点は一文字一音価という文字原則を完全に外れ,一文字多音価になっている点であろう(同字異音).本家の中国語では漢字と音の対応は一文字一音価であるが,日本語となった漢字は一つの文字が意味に合わせて多くの音価を持つに至っている(音読みとか訓読みとかというのがそれ).もちろん,ひとつの音価しか持たない漢字もあることはあるが(亜,医など),きわめて例外的である.したがって,漢字の読みでは文脈や文字順列に合わせて呼称を選択するという作業が要求される.たとえば日本国の「国」はニホン「コク」あるいはニッポン「コク」と読めるが,ニホン「クニ」とは読まない.ヒノモトノ「クニ」なら許されようか.「『国』を挙げて歓迎」は「クニ」ヲアゲテ……とは読んでも,「コク」ヲアゲテ……とは読まない.このように外形が読みの選択肢をひとつに絞り込むが,そこにはアルファベットや仮名のごとき発音上の法則性はない.極端な場合は文字と音との対応は完全に恣意的である.百足をヒャクソクあるいはヒャクタリと読まず,ムカデと読むのはこの二字の組み合わせだけに対応する勝手な約束であって,漢字の本来の音価との間になんの対応もない.また,逆に同じ音韻連鎖が多くの意味を持ち,したがって多くの漢字で表現される(同音異字)のも日本語における漢字の著しい特性である.たとえばサンという音価から書き出すことの可能な漢字は,三,山,産,酸,算などとあり,文脈や意味を考慮しない限り正しい文字を書き出すことはできない.特に名前や地名のごとき無意味な音系列を耳からだけで書き取らなければならないような状況では,視覚的に文字形態を複数個,頭の中に想起して,その中から目標語を選択するという繁雑な心理操作が行われることになる(たとえば,「河野」のコウは「さんずいのかわ」でノは「のはらのの」など).この場合も音から文字への変換は個々の文字についての約束だけによるもので,漢字を通しての法則性はほとんど存在しないと言ってよい(音読みについて言えば多少は存在するが本質的なものではない).
このように表記水準の異なる二種の文字を併用するのは文字学習からすれば非常に効率の悪いことに違いない.しかし,一旦マスターしてしまえば,漢字で語彙の中心的部分を視覚的,意味的にまとめ,それに仮名をつけてゆくこのやり方は切れ目のはっきりしない日本語の表記手段としてはメリハリのきいた見事な方法であると考えられる.
さて,以上のごとき特性を持つ漢字・仮名であるが,一体どのような大脳機能に支えられてその働きは実現されているのであろうか?
この問いに答えることは決して容易ではないが,大脳損傷で見られる数多くの文字言語能力の障害を注意深く整理することで,ごく概略的な情報の流れを想像することはできる.本稿では理解を助けるために,通常の論述の順序を逆にし,考えられるシェーマをまず提示し,そのシェーマにしたがって,実際にどのような症状が存在するのかを紹介してゆきたい.
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