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はじめに
はたして,我が国にどれだけの数の理学療法士が必要かという問題に答えることは困難といえよう.障害者や施設,病院などの数だけではなく,その必要性が関係者にどの程度認識されるかということも,その数を決定する要因の1つになる.五味などの推定によれば10,000~15,000人とされている.しかし,社会のニードに答えて行くためには,量的な拡充だけでは十分といえず,それと平行して質的な維持,向上が根本的に考慮されていなければならないことは明白である.
昭和54年度には理学療法士養成校も19校になり,55年度にはさらに数校が増設された.理学療法士を希望する入学者の数も増えて来ていることは量的な視点からみれば喜ばしいことかも知れない.しかし,入学希望者や合格した学生と接して感じることは,大多数の学生は理学療法がどのような専門職であるかというイメージを持たず,四年制大学入試に失敗したからとか,就職率が良いからということで希望しているようである.PT教育に関係している人間にとっては心細い感じを受けざるをえない.
確かに,初期の動機が高く,その内容が現実的なものであれば,その本人の行動,もしくはエネルギーは理学療法学の勉学に向けられ,その結果としてより水準の高い理学療法士が輩出してくることが予想される.しかし,最も大切なことは,本人の動機が学習過程や卒業してからの臨床過程において継続的に高められ,そして維持されるかということである.初期の動機がいかに高尚であっても,それが途中で失なわれることもあろうし.逆に初期の動機が漠然としていても,後になり明確なものになることもある.
人はその人が本来求めている物や者に出会ったとき,ある種の感動を覚えるものである.もっとも,本人が何を求めているかということを認識していない場合は,初期の出会いでは感動も失望も起こらず,後になって何らかの反応が起こることになろう.いずれにしても,我々の体験する出会いが本来求められてきたものであれば,それに対する我々の関心は継続的に維持されるのが普通のようである.例えば,ある人が理学療法という分野との出会いを良しとすれば,その人は理学療法学を前向きに学び,そして将来何らかの形で,それが必要とされる状況で活動するのではないだろうか.
「理学療法士としての適性」というテーマで執筆することになったが,果して筆者自身が理学療法士としての適性が有るかどうかということもあり,幾分心苦しい感じもする.
第三者に執筆をお願いしたが引受けてもらえなかったので眼られた文献を参考にしてまとめてみたい.
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