講演
一人の療法士の軌跡―わが国におけるリハビリテーション事始
砂原 茂一
1
1国立療養所東京病院
pp.202-206
発行日 1980年3月15日
Published Date 1980/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518102112
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先駆者としての療法士
私達はリハビリテーションということを西欧からの輸入品として受取っている.大筋においてはそうに違いないのだけれども障害者に対する同情,あるいはそれをこえて障害者への積極的なかかわりは日本人の間にだけ芽生えなかったと考える根拠はないであろう.
光明皇后をもち出すこともできるし,徳川時代における盲人に対する職業的リハビリテーションを強調することも出来よう.明治政府の場合は“陸軍武官傷痍扶助及ビ死亡者祭粢並ニ其ノ家族扶助規則”(明治8年大政官達)から癈兵院法(明治39年)に至る軍国的色彩の強いものであったがその間にも石井亮一(立教女学校教頭)の滝乃川学園(精薄施設)のような先駆的な仕事もあった.その中にあって社会事業家でもなければ医師でもなく今日の名称で云えば一人の理学療法士が独力でわが国最初の肢体不自由児施設を大正10年に開設し,30年余にわたって持ちこたえたことは特筆に値する.東京市の光明学校が出来たのは昭和7年,国立民営といってもいい整肢療護園の出来たのは昭和17年で,児童福祉法は昭和22年,身体障害者福祉法は昭和24年であること思い起すとその先駆的意義は高く評価されなくてはならない.
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