検査の苦労ばなし
耐性検査事始
小酒井 望
1
1順大中検部
pp.786-787
発行日 1977年10月1日
Published Date 1977/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543201480
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結核菌の耐性検査
私は昭和23年11月から国立東京第一病院(現医療センター)の検査科に勤務し,細菌・血清検査を担当することになった.翌24年に厚生省が結核にストレプトマイシンを試用することを決定し,同院長坂口康蔵先生がその領域の専門家であるため,同院では肺結核を中心にストレプトマイシン療法が開始された.当時米国では結核にストレプトマイシンが使用され,結核菌が本剤に耐性(最初は抵抗性という言葉が用いられた)を獲得することが知られていた.
本剤を試用することが決まってすぐ,私は坂口先生に呼ばれた."君,学位はあるの""いいえ,まだです""それでは結核菌のストレプトマイシン抵抗性を測ることをやってみませんか.それを君の学位論文にしたらどうです"と言われた.成算があるわけではなかったが,院長の命令だから,うやうやしく承諾して引き下がったものの,それからが大変である.当時予研にいて,結核菌を扱った経験のある友人に相談したところ,"液体培地でやるしかないだろう.しかし大変だな"と言われて,いささか出ばなをくじかれた.厚生省で結核のストレプトマイシン療法に関する研究班ができて(のちに厚生省結核療法研究協議会となった),その専門委員会はやはり液体培地による測定法を標準法とした.
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