- 有料閲覧
- 文献概要
Dr. Hayes MartinはNew Yorkの医師で喉頭癌の権威として有名な専門家である。私と医学上のことで手紙その他の交際のあつた年代は1953年前後(昭,28)の頃である。当時,私は喉摘の日本の統計を調査していた。そしてその例数から日本全体の喉頭癌の治療の趨勢を推定した。これはX線その他による療法の結果とを比較したい意図に基づくものであつた。顧みると当時は未だParzielleまたはHemilaryngektomieについては本格的注目をひいていなかつた時代で大部分全摘を中心とした時代であつた。調査上大変に困つたことは成績の比較に大切な共通の公式分類が現代のように完成してなかつた時なのでその成績の意義も大ざつぱとならざるを得なかつた。ついでなので誌すと1961年(昭,36)のパリでの第7回国際耳鼻咽喉科学会議で現代の喉頭癌分類が決まつた。私も日本側の代表委員として出席し日本での決定草案を提案したことを思い出す。
Dr. Martinとの喉摘統計論はそれ以前のことになる。これも進歩のための一過程であつた。日本の当時の喉摘は現代のように光線療法の著しい進歩的変遷がなかつたと考えられる時代であつたためアメリカの統計比較が同一基盤上でされてはいなかつた。それで中心が手術手技だけに限定されてMartinは日本のパーシャル,オペレーションのきわめて少数なのに大変不可思議な疑問を持ち大反論を加えて来た。医学上のことは別として理由の一面としてたとえば社会的衛生的尺度の同一でない両国の違いもあつて早期手術が日本ではなお不徹底の時代であつた。当時としては啓蒙も不足で大部分晩期の型のみと言つてよい。したがつて全摘ならざるを得ず。この点で現代は民度の点からも医術の面からも随分進歩したと思う。その努力をした日本の咽喉科専門の人々の努力に敬意を表することを附記せねばならない。
Copyright © 1979, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.