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III.耳科専門医としてのドクトル小此木 明治29年6月帰国したドクトル小此木は,8月から駿河台の小此木耳科医院で診療を行ない,10月から創立20年目の済生学舎に迎えられ耳鼻咽喉科の講義を開始した。同年10月18日に上野精養軒で発起人長谷川泰,参会者70余名のもとで,ドクトル小此木の歓迎会が開かれた。ついで10月24日,国家医学会第9次総会が日本橋坂本町東京医会本部会場で開かれ,その席でドクトル小此木は「軽微ナル内耳刺戟ニ起因スル一種ノ重聴及全聾」を発表した。翌10月25日上野精養軒で開かれた第4回東京耳鼻咽喉科総会においてドクトル小此木は副会頭に選ばれた。会頭は金杉英五郎であつた。同10月25日済生学舎一番教室で開かれた済生学舎校友会の第1席で「独逸国医学生の状態」の講演〔済生医事新報47号(明治29年11月15日)掲載〕を行ない,ついで11月19日の校友会例会で「耳科学研究の必要」の演説を行なつた。しかし明治29年11月13日に医科大学で開かれた東京医学会第69例会で講演予定であつたが,病気のため欠席した。12月4日,済生学舎の片山芳林・保利真直・小此木信六郎の三講師歓迎慰労会が江東中村楼で開かれ,その席上ドクトル小此木は次のような演説を行なつた(註15)。
12月6日には,東京顕微鏡院が神田小川町一番地に移転,開院式と第四回総会を行なつたが,その席でドクトル小此木は金杉英五郎とともに講演を行なつた(演題は不詳)。12月19日に開かれた順天堂医事研究会の慰労会,忘年会に佐藤進・坪井次郎・呉秀三・入沢達吉・金杉英五郎・山田良叔らとともに出席した。12月28日,済生学舎実地演習科の卒業式に出席,次のような講演を行なつた(註16)。
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