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済生学舎と小此木信六郎(I)
横川 弘蔵
pp.375-385
発行日 1977年5月20日
Published Date 1977/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492208504
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はじめに
去る昭和51年,日本医科大学耳鼻咽喉科学教室は開講70周年を迎えた。この機に70余年にわたる歴史の流れを溯り,さらに開学の先達に新たな光をあて,その源流をより正しく再認識するとともに,この原点に学ぶこころを明日への第一歩の一助としたいと考えた。私どもの日本医大と耳鼻咽喉科学教室における流れの源は,済生学舎と小此木信六郎であり,この両者なしでは今日の日本医大と耳鼻咽喉科学教室の歴史と隆盛を語ることはできないと考え,このような観点から済生学舎と小此木信六郎の足跡と,両者の交点を求めつつ筆をすすめてみたいと思う。
昭和51年(1976)は,明治9年(1876)より数えて百年目にあたつた。明治9年には,2月に柏原学而の耳科提綱の刊行,4月に長谷川泰による私立医学校済生学舎の創立,6月には東京大学教授にA. Wernichの代りにE. Baelzの来日,12月に佐々木東洋の内科提綱の刊行と,いずれも医学史の上で特筆すべき出来事をみることができる。一方一般社会史の面では,7月にクラークが札幌農学校(9月に札幌学校より改称,北大の前身)に着任,11月には東京女子師範学校に幼稚園が設置―幼稚園のはじまり―などの他,ワグナーによるバイロイト音楽祭のはじまりもこの明治9年の出来事である。
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