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1960年代は科学に対する絶対の信頼がもたれ,来たるべき1970年代の情報化時代にわれわれが果たして適応し得るか,否かということに特に若い世代の人々が不安を感じていた時代であつた。そして1970年からはこの傾向に一層の拍車がかけられると予測され,このような世相を反映してテレビの科学番組は物理や工学的発見,応用の解説と普及に多くの時間がさかれていた。まさに科学礼讃の時代であつた。そして輝やかしい筈の飛躍の70年代に入つたとたんに,予想に反して公害問題により多くの提議と反省とがなされ,われわれは以前の約束された科学の進歩に対する不安から,より根本的な生存そのものへの不安へと内容がすり変わつてきた。いま思えば,北大の和田教授の心臓手術の事件は臨床医学における手術療法の頂点の時期にあたり,これを契機としてその後は急激に医療の反省期に入り,われわれは手術療法に対して極端に神経質になつてしまつた。開業医が手術療法に対してきわめて消極的になつているのは,必ずしも人手不足とか事故に対する補償問題の深刻化という表に現われた問題以外に,医師が人体に単純にメスを入れて侵襲を加わえるという行為自身に疑念を持ち始めたという大きな意識の変化のあることが案外見過されているのではなかろうか?最近では小児に対する筋肉注射そのものが,批判の対象とされてきており,人間を対象とした医学的研究が従来の方法をもつてしては容易に解決できない時期にきていることをひしひしと感じる。
私は10年来,聴覚による人間の左右の脳機能の研究を続けているが,この研究の一部は脳外科医の協力を必要としたが,脳外科における人間の研究方法は著しく制約されてきており,あるものはまつたく実施不可能な状態に陥つている。そして現状でも,脳外科医が開頭という行為による後遺症の可能性について十分な吟味をしていないことに,私は強い不満を感じている。そしてこのような情況の変化がここ10年以内の経過であつたことに新たな驚きを覚えるのである。Penfieldらは脳皮質の電気刺激による言語反応から言語野を定め,生体についての貴重なデーターを提供したが,この基礎的データーがあらゆる言語圏の人々に不遍妥当な価値をもつものと考えられ,日本の脳外科や神経科の臨床にうけつがれてきた。しかしこの研究は西欧人によつて西欧人の脳を対象として行なわれてきたものである。日本でもPenfieldが行なつたと同様の規模をもつ広範な研究が日本人の脳についても行なわれ,その事実の上に言語についての臨床医学が構築されたものであれば何も問題はないが,基本的な過程を十分に吟味することなくきわめて不十分な追試に止めたところに問題が残されたように思う。
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